私は現在、かねてより「やりたかったこと(夢)」へ挑戦している。
思っていたよりもやることが多く、その作業も多岐に渡るため、それなりに忙しい日々を送っている。
しかし、自分がやりたいことなだけに、今は充実した気分でいっぱいだ。
この気持ちを得られただけでも、あの時私が仕事を辞める決断をしたことは正解だったと言えるだろう。
ただ、よくよく考えると、こうやって私がすぐに行動に移せたのも、私が「独身」というのも大きな要因なのかもしれない。
これがもし妻子持ちだとすると、自分の気持ちだけで先行するのは難しかったのかもしれない。
そんなことをふと思ったのだ。
独身なら迷わずやりたいこと(夢)に挑戦するべき理由
誤解しないで欲しいが、私としては既婚者であろうと夢への挑戦をするべきだと考えている。
一度しかない人生、自分のやりたいことをやらずに朽ち果てるのは人生の最大の損失だ。
しかし、実際問題として、全ての人が自分の妻(夫)から理解を得ることは難しいだろう。
中には、家族の生活や子供のことを考えて、あえて夢への挑戦を断念する人もいるはずだ。
私個人としては、そういった人生観には否定的ではあるものの、心情としては理解できる。
自分が家族を支えてる身だと考えれば、保守的になるのも無理はないだろう。
なので、そういう人達に無理強いをするつもりはない。
それはそれで一つの考え方だろう。
しかし、逆に言えば「独身」の身でありながら、やりたいこと(夢)に挑戦しないのはどういうことだろうか。
独身の最大のメリットは「身軽」であることだ。
何の縛りもなく、人生の時間を自分のために専念して使える自由さ。
それこそが独身の最大の強みである。
だというのに、世の中にはその自由を放棄して、既婚者と同じような立ち位置で物事を考えている人があまりにも多い。
もちろん、本人が心から今の現状に満足しているなら、無理にやりたいこと(夢)に挑戦する必要はない。
だが現実は、心の奥では「何かが違う」と感じていながらも、無理やり自分を納得させて過ごしている人が圧倒的に多い。
言うなれば、彼等は自分を騙しているだ。
私の友人にも、そういった人物がいる。
彼は現在、名の知れた大企業に勤めており、世間的にみれば「勝ち組」と称される人間だ。
しかし、実際の彼を見ていると、とてもそうは感じられない。
顔には生気を感じられず、毎日死んだ魚のような目をして過ごしている。
元々は中小企業に勤めており、そこからの大企業への転身なので、本来なら自分の願望が叶ってもっとイキイキして過ごしているはずなのだ。
ところが、彼には全くそのような感情はなく、なんと今度は「公務員」への転職を試みている。
彼とは学生時代からの付き合いなので、もう知り合って10年以上になるが、その間、彼が幸せそうに見えたことは一度もない。
頭に思い浮かぶのは、常に「幸せの幻想」を追い求めて躍起になっている姿だけだ。
そんな彼を見ていると、私はつくづく思うのだ。
自分の本当の願望を知ることがどれだけ大事なのかということを。
結局のところ、彼がなぜこのような人生を送ってるのかといえば、「自分の本心」とはかけ離れた人生を送っているからである。
追い求めているのは、いつも「他人軸の幸せ」なのだ。
世間で言われる「人生の正解」の道を辿れば幸せになれる、そう頑なに信じて疑わない。
だから大企業に入るのに躍起になり、そこで満たされないとわかれば次は公務員を目指す、というわけだ。
しかし、彼がたとえ公務員になったとしても、幸せになることはないだろう。
それは前述したように「自分の幸せ」を追及していないからだ。
彼が求めているのは、他人から刷り込まれた幸せの価値観であり、自分の本心では決してない。
それがわかるのも、彼と話している時に、時折だが彼の本当の望みに触れることがあるからだ。
彼は「年配者と話すのが好きで、本当は接客業に向いてるような気がする」と語っていた。
実はこうした感覚とは、とても大事なことだ。
なぜなら、自分の幸せというのは、自分が得意だと感じることに隠されていることが多いからである。
人には誰しも何かしらの生まれ持った才能があり、それを活用して世に示すことが自分の幸せに繋がる、という事例は非常に多い。
私から見ても、彼はその道に進んだ方が幸せになれるように感じている。
しかし、彼は決してその道を選ぶことはしないだろう。
なぜなら、その道を選べば大企業に勤めているという肩書きを捨てることになるからだ。
つまるところ、全ての理由はここにある。
彼は現状を変える勇気がないのである。
冒頭で語った独身で夢に挑戦しない人達の大半も、恐らくは彼と同じ理由である。
不満を感じながらも、今の現状を変えて一歩を踏み出すことができないのだ。
その大きな要因は、前述したように「他人軸の幸せ」に囚われているからである。
だから大企業というステータス(のように見える物)に固執してしまうのだ。
しかし、断言するが、このような人間は必ず後悔する時が来る。
多くの人にとっては、それは人生の終わりが近づいた時だろう。
自分の命が残り僅かだと悟った時、初めてそのことに気づくのだ。
世間から見た幸せという幻想を追い求め、自分の気持ちを蔑ろにしてきた弊害。
それを人生の最後の最後で感じるのは、本当に辛いことだと思う。
だからこそ、私はやりたいこと(夢)がある人には、迷わず挑戦してもらいたいのだ。
そうしなければ、必ず人生に後悔する時がくるのだから。
本音を言えば、全ての人に自分の気持ちに素直になって夢への挑戦をしてもらいたい。
しかし、冒頭で述べたように、家族を持っていれば簡単には決断できないのかもしれない。
ならば、せめて「独身」なら迷わず挑戦するべきだ、と訴えたいのだ。
私の友人のように、会社のブランド力を捨てることに躊躇する人もいるだろう。
だが、そんな肩書きなど、どうでもいいではないか。
大企業のブランド力が自分を幸せにしてくれる、なとという価値観はもはや幻想である。
時代が変われば価値観は変わる。
今世間で正解だとされていることは、私達の上の世代が作ったものだ。
そんな価値観に従って、自分の気持ちを抑圧することは、自分自身に対しての冒涜行為である。
人生の幸せの基準とは、いかに喜びを感じられるか、その一点だけである。
仕事とは、それを感じるための手段の一つにすぎない。
たとえ大企業に勤めていようとも、自分のやりたくない仕事をしていれば、それは幸せとは呼べないだ。
幸いなことに、若い世代にはそのような思想が徐々に定着しつつある。
身近なものでいえば、「youtuber」だ。
こんな生き方は、少し前の時代では想像もできなかった。
しかし、今では多くの人に認められ、羨望される存在にまでなっている。
あなたも世間の価値観など気にせずに、まずはじっくりと自分の本心に向き合ってもらいたい。
やりたいことが何もない、という人は「無条件で何でも叶う」という前提条件で考えてみて欲しい。
そうすれば、必ず自分の本当の望みが出てくるはずだ。
そして、自分の望みががわかったら、迷わずそれに向かってチャレンジしてほしい。
今の現状を変えて新しい道に進むことは、最初は恐いと感じるかもしれない。
しかし、最初の一歩さえ踏み出せば、物事は必ず良い方向に動き出す。
だから心配しないで欲しい。
あなたはあなたの道をただ信じて進めばいいだけだ。
夢を追うことの大切さを他人に理解してもらうためには
ただし、一つだけ注意してもらいたい。
ここまで私が述べてきたことは、現実社会ではあまり人に言わない方がいい。
なぜなら、気づいてない人(受け入れる気がない人)に助言しても、彼等が納得することは絶対にないからだ。
彼等の言い分は決まってこうだ。
「今更そんなことをして何の意味がある?」「もっと現実を見ろ」
あたかも正論のように聞こえる言葉を振りかざし、夢を追う人達を抑圧する。
彼等はある意味、それを言うことで自分自身を納得させているのだ。
だから、そうした人達を無理に説得する必要はない。
無理に説得しようとしても、ただあなたのの情熱が削がれるだけだから。
そんな人達に、せっかくの情熱を奪われる必要などない。
あなたはあなたの思うがままに、夢へ挑戦すればいいのだから。
もし、どうしても人にわかってもらいたい、と考えるなら、それは言葉ではなく行動で示すことだ。
夢へ挑戦することで自分がどれだけ幸せになれたのか、それを相手にわからせるためには、自分の生き様を見せるしかない。
その生き様を見せることこそが、本当の意味で相手を納得させる秘訣である。
そのためにも、私もこうして揺るがぬ信念を持って、夢への挑戦を行っている。
私の生き様を見せることが、友人、ひいては多くの人に希望を与えることに繋がると思っているからだ。
あなたも是非、身近な人に「夢へ挑戦する自分の生き様」を見せて欲しい。
あなたが幸せになるだけで、身近な人に勇気と希望を与えられるのだから。